【開催日時】 2017年12月15日(金) 18:00~20:00
セクシュアルハラスメントという言葉が流行語大賞になったのは1989年。この大賞の背景には、「この言葉を広めたい」と考えた女性たちの活躍がありました。
1980年代、女が働くということは、目の前にとてもじゃないけど登れそうもない角度のきつい坂をみあげるような思い、または次々に目の前でシャッターが下ろされていくような経験だったと丹羽雅代さんは言います。
「セクシュアルハラスメント」という言葉を、丹羽さんの仲間の女性がアメリカの書店で見つけた時、「もしかしたらこれは、私たちが今、むきあっていることが書いてあるのではないか」という思いで翻訳をしはじめ、また、きっと同じような思いをしている人はもっといるはずだ! と働く女性にアンケートを配りはじめたのは1980年代半ば。男女雇用機会均等法が成立し、日本はバブル絶頂に向かって「女性の時代」などということが軽々しく言われていましたが、当時、女性たちは非常に厳しい働く日常を生きていました。
女性たちが集まっては、セクシュアルハラスメントに関するアンケートの項目を考え、それを1万人に答えてもらおう! と動きはじめた丹羽さんたちの頭には「いつかこの言葉を流行語大賞にして、そして、この言葉一つで今私たちが抱えている困難を表せるようにしたい」という願いがありました。
今年最後のラブピトークイベントは、丹羽さんをお呼びし、当時、「セクシュアルハラスメント」という言葉をどのように受け止め、そしてどのように広めていったのか。働く女たちがどんな思いで道を拓こうとしていたのか。そんなお話を伺います。
当時、セクシュアルハラスメントのアンケートを取ったグループ「働くことと性差別を考える 三多摩の会」の主要メンバーの丹羽雅代をお迎えします。
言葉が出来たことで問題が明かになることがあります。
それでも、問題が明かになっても、その言葉を活かし続ける力も必要。
未だに、セクシュアルハラスメントで苦しむ女性が絶たない社会で、最初に声を上げて下さった女性達の声や活動から学んでいきましょう。
スピーカー:丹羽雅代さん
1947年3月名古屋生まれ。 大学時代から10年ほど関西で、小中高校の教員と子育てと市民運動生活。75年に東京に移る。養護学校教員生活と地域での女性運動の日々。
81年、「三多摩の女たち集まりましょう」呼びかけをきっかけに三多摩の会を作る。
セクシュアル・ハラスメントという言葉と出会い、1万人アンケートをまとめ、出版(女6500人の証言・働く女の胸のうち1991)。
91年から東京女性情報センター(後のウイメンズプラザ)相談室で勤務、性暴力をテーマに取り上げようと10年余り働く。
松井やよりさんとの出会いから「アジアの女たちの会」「女性の安全と健康のための支援教育センター」、「女たちの戦争と平和資料館wam」、SARC東京など気が付けばいくつものNGOに関わってきている。
司会:北原みのり
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